News&Culture ~向陽文化~

仏様の指

2020年7月2日 18時40分

教室の魅力とは、簡単に言えば、どの子にも確かな成長の実感があるということではないでしょうか。」
大村はま
(国語科教師・国語科教育の研究者 )




最近、1年生は、昼休みに長縄の練習をしています。
グラウンドがぬかるんでいることも多いので、中庭や体育館前なども使って、それぞれの学級で、大きな掛け声を出しながら、熱心に練習をしています。

担任の後藤先生や森下先生、学年主任の井伊先生は、時々声を掛けながら、生徒たちの様子を、にこやかな表情で見守っています。

そんな様子を見ていて、私は半分は嬉しくもあり、そして半分はうらやましくもあります。学年主任はいいな、学級担任はもっといいな、と実感しています。

さて、話は少し変わりますが、大村はまさんの『教えるということ』(共文社)は1973年に出版され、これまで教師や教師を目ざす学生たちに読み継がれています。

著名な方ですので、保護者の皆様の中にも、手に取られたことがある方もいらっしゃるかもしれません。
この本の中に「仏様の指」と題された文章があります。

大村さんが高校教師であった戦時中のことです。大村さんは毎週木曜日、奥田正造先生の読書会に参加していました。そのとき大村先生は、奥田先生から次のような話を聞いたそうです。

あるとき、仏様が道ばたに立っていらっしゃった。すると、一人の男が荷物をいっぱいに積んだ車を引いて通りかかった。しかし、大変なぬかるみに、はまってしまい、懸命に引いても車は動かない。汗びっしょりになって、男は苦しんでいた。その様子をしばらく見ていらっしゃった仏様は、ちょっと指でその車にお触れになった。その瞬間、車はすっとぬかるみから抜けて、からからと男は引いていった。

奥田先生はこのように話した後に、次のように語りました。

「こういうのが本当の一級の教師なんだ。男はみ仏の指の力にあずかったことを永遠に知らない。自分が努力して、ついに引き得たという自信と喜びとで、その車を引いていったのだ。」

大村はまさんは、この奥田先生から聞いた話について、次のように感想を述べています。

「もしその仏様のお力によってその車がひき抜けたことを男が知ったら、男は仏様にひざまずいて感謝したでしょう。けれども、それでは男の一人で生きていく力、生きぬく力は、何分の一かに減っただろうと思いました。」

「仏様の指」と題するこの話が示唆している仏様は、子供の学びを見守り、子供自身が支援されていることに気付かないくらい、適切に支援をする教師の姿につながるように感じます。

子供は幼いとき、公園など知らない場所に行ったとき、少しずつ行動範囲を広げていきます。しかし、ときどき振り返り、親が自分のことを見てくれているかを確認しながら、少しずつ自信を広げていきます。

自転車に初めて乗れたときに、その様子を見守り、子供が自分の力だけで乗れるようになったことを共に喜ぶ親のように、子供の成長の実感を共に味わうことができる学校・教室は、魅力的な学校・魅力的な教室だと私は思います。

長縄の跳んだ回数が例え5回くらいであったとしても、みんなで努力して成長したことを実感できたとき、生徒たちは本当にうれしそうな表情を見せます。

そんな様子を、学級担任も学年主任も、素敵な表情で見守っています。

勉強も大切ですが、それと同じくらい大切なことを、子供たちはたくさん学んでいます。

子供の学びや実践を丁寧に見守り、一人一人の確かな成長の実感を認め、共に喜ぶ教師でありたい。
大村さんのお話はそんなことを教えてくれる気がします。